A-8.病草紙断簡 三幅および未装二葉 売約済
病草紙(やまいのそうし)とは平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて描かれた絵巻物で、当時の難病を絵画化し、詞書をつけたものです。
原本は各段ごとに切断されたもの21図が現存し、博物館、美術館および諸家に分蔵されています。
そのうちの15図は名古屋の関戸家が所蔵したのち、9図が京都国立博物館の所蔵となり国宝に指定されています。
これらの絵は単なる風俗画ではなく、六道絵の一部で人間道の苦界を生きる人々の姿を描いたとする説もあります。
ご案内の品は室町時代の写本で、付属の資料によれば元来は17段、二巻の巻物であったとされています。
また、寛永の修理時の箱があり、それによれば作者は「画 修理亮(しゅうりのすけ)土佐行秀筆、詞 妙法院宮堯仁法親王筆」と記されています。
作者は共に室町時代初期の人物で、箱に書かれた年記は「寛永甲申年調修 □□□※封蔵」とあります。※□=擦り消しで判読できず
このことから、寛永二十一年(1644)に調修=修理をした事が判ります。
当写本は近年になり田中塊堂氏により「尾張切」と命名され、格段に分けられて世に出されたものです。
この度は、このうちの軸装された三幅および未装のマクリ二葉のご案内となります。
断簡はいずれもオリジナルに忠実で、やや色彩に乏しいものの一見して卓越した技能の絵師、能書の人物の手によるものと判ります。
霍乱の女
霍乱といふやまいあり はらのうち苦痛
さすかことし 口より水をはき 尻より
痢をもらす 悶絶倒してまことにたえかたし


サイズ 本紙 縦250o、横385o、表具 縦1190o、横520o ※軸端を含まず
文字にすることも憚かられるような惨状です。
霍乱とは今でいう熱中症のような病気のようです。症状は深刻ながら、犬がいたり、赤子がいたり、周囲の様子はどこかユーモラスです。
表具は牡丹柄に金襴の一文字風帯の古裂に竹屋町の上下を合わせてあります。箱書は田中塊堂氏。
表具は三幅とも同じ仕様、箱は未装のものも含めすべて塊堂氏の箱付です。
本紙に薄汚れ軽い巻シワがあります。原本は国宝。
白子
志ろこというものあり おさなくより
かみもまゆもみな志ろく めにくろ
まなこもなし むかしよりいまにいた
るまで まゝよにいでることあり


サイズ 本紙 縦248o、横405o、表具 縦1190o、横535o ※軸端を含まず
先天性の病気を道行く人々が嘲笑う様子が描かれています。
本紙上部に目立つシミ、他に巻シワが少々。
口より屎する男
あるおとこ 志りのあなゝくて 尿くちよ
りいつ くさく たえがたくて すちなかり
けり


サイズ 本紙 縦250o、横303o、表具 縦1140o、横428o ※軸端を含まず
ご覧の通りです。
現代の病気に当てはめるなら腸閉塞との指摘もあります。
本紙に薄汚れ、軽い巻シワがあります。
眼病の男
ちかころ やまとのくになるおとこ め
のすこし見えぬことありけるをな
けきゐたるほどに かどよりおとこひ
とりいきたり あれはなにものそといへば
我が目のやまひをつくろふくすしなり
と云 いゑあるし 志かるへき神仏のたす
けかとおもひて よひいれつ このおとこ め
をひきあげて よくよく見て 針してよか
るへしとて 針をたてつ いまはよくなり
なむとていていぬ そののちはいよいよ見
えざりけり つひにかためつふれ
はてにけり

サイズ 縦254o、横569o 未装
目の治療をする様子が描かれています。
詞書を読みますと、目に針を刺して治療したようですが、不幸にして片目を失ってしまったようです。
病状は深刻ですが、角盥を持つ女性は口角をあげて笑っているようにも見え、襖の陰から覗き見る野次馬も複数名いるようです。
ご案内の中でこの断簡が最も色彩豊かで物語性のある段です。
本紙にシミ、巻シワあり。原本は国宝。
尻に穴多き男
あるおとこ むまれつきにて しりのあ
なあまたにありけり くそまるとき あな
ことにいててわつらはしかりけり

サイズ 本紙 縦254o、横273o 未装
甚だ尾籠な画題でご案内も憚られます。
絵画化する必要性を問われそうな画題ですが、それに反して絵画は線の美しさが際立っています。
一筆で引いた絶妙な曲線は絵師の優れた力量を示しています。
薄汚れ、巻シワあり。原本は国宝。
箱、付属の書類

寛永の修理時の箱
表;画 修理亮土佐行秀筆 詞 妙法院宮堯仁法親王
中:寛永甲申年調修 □□□封蔵 ※□は擦り消し
寛永甲申年は寛永二十一年(1644)、この年に調終=修理を終える

寛永の箱と切断前の巻子の軸。箱の中は近年書かれた由来に関する書付

田中塊堂氏の箱と由来を書いた折り紙
箱は中に「尾張切と命名す」とあります。箱と折り紙は未装のものも含めてすべて揃っています。
折り紙には考古画譜所載の品で元は17枚とあり、切断に至った経緯が書かれています。
作者、書写年代など
寛永の箱に書かれた作者(いずれも室町初期の人物)を以て作者と断定することは性急に過ぎますが、寛永二十一年(1644)の修理から逆算すれば、およその制作年代が推定できます。通常、鑑賞用の巻物は100年程度では修理の手を入れることはなく、画風や書風、時代感から考えて、箱書が筆者とする人物の時代と隔たりは少ないものと考えます。
病草紙は六道絵の一部で『正法念処経』を典拠とした経絵とする説もあるようです。それを差し置いても純粋に古の絵師の卓越した技量、詞書の文字の美しさをお楽しみ頂けたらと思います。もっとも現代の感覚からすればやや卑俗に過ぎる感は否めませんが・・・。
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